ウエストホームズ談話室
WEJ511(5月)号を拝受しました。 - 疲労脳
2020/05/01 (Fri) 14:00:07
WEJの511号が「追分フォーラム残念号」と銘打って到着しました。4月の仏滅会に続いて追分フォーラムも延期とは、発表予定者も集まりを楽しみにしていた者も本当に残念だったことでしょう。5月4日付ですが、4月中に到着したのは、すでにHPやツイッターで延期の連絡はありましたが、念のために追分フォーラム予定日の10日前に届くようにとの関西支部の暖かい配慮があったものだと評価します。さて本号で私の印象に残った記事は次のとおりです。
★ホームズがコロナウィルス対策を指導(花屋敷氏)
南オーストラリアのホームズ協会の会長が創られた正典の挿絵の内、コロナウィルス対策にピッタシの絵を組み合わせて作成したもの。海外のシャーロキアンはセンスもシャレておりなさることもスマートだと感心するほかありません。
★仏滅会250回記念特集(曽根氏)
「追分フォーラム残念号」が、当初は「追分フォーラム配布号」になるはずであったので、追分と追分フォーラムの記述が詳しく読み応えがありました。ロンドンホームズ協会と交流会を開き、JSHCの誰も知らなかったオデオン座のホームズの壁画に案内してもらったのは大した活動実績ですね。
★ホームズ物語と言語学的話題(長谷川氏)
JSHCには、案外英文学、英語学、英国近代史を本格的に専攻した方は少ないです。そもそも最初にホームズ全集を完訳された延原謙氏も電気科の出身です。長谷川氏は英語学を修めた方だけに、平易な文体で奥深い内容を語っておられます。
★250回記念品に特製ホームズ切手(眞下氏)
ぐにゃりとしたパイプのカリカチュアなホームズではなく、追分のホームズの顔で特製切手を制作されるとは。拍手です。
平賀先生の現場調査型研究に期待 - 同乗
2020/05/02 (Sat) 12:39:42
平賀先生の「ホームズ原理主義と発展主義」も30回を超えました。つねづね、先行文献や検索結果による空理空論ではなく、刑事の捜査なら現地を見て真相に迫る平賀先生の手法は信頼できるところであります。空理空論モミステリ論の楽しみですが、現場を踏むことに勝るものはないのであります。
日本のシャーロキアンはヤボテンでんな - 桂サッシ
2020/05/02 (Sat) 17:34:39
オーストラリアのシャーロキアンが創りはったコロナウィルス対策の画像をみんな見させていただきました。記事中のアドレスを開いてみましてん。思ったことは1.コロナ対策は日本もオーストラリアもやることは同じでんな。2.日本のシャーロキアンはヤボテン、こんな機知に富んだアイディアはおませんな。でした。
今号も吉本先生の名文を拝読 - 原田穂積
2020/05/04 (Mon) 12:45:52
ホームズがサセックスに引退後、ミステリ界を席巻したのがハードボイルドである。シコシコと細かい突っ込みを楽しむ"本格推理"に比べダイナミックで男らしい世界が広がる。吉本先生はまさにハードボイルド世界の方であろうと推察するが、まさに固ゆで卵そのものではないだろうか。JSHCでは得難い人材と拝察している。
Re: 曽根様、追分一里塚の場所はどのあたりですか? - 米菓の子
2020/05/05 (Tue) 23:33:05
追分は、ホームズさんにお目にかかれるため何回か参りましたが、中山道の一里塚とは気が付きませんでした。どのあたりで見られますか?
Re:米菓の子様 追分の一里塚についてお答えしまs。 - 曽根
2020/05/09 (Sat) 14:02:20
追分宿内は旧中山道で保存されていますが、国道18号線バイパスが家並みの南側にじています。旧宿場は東側で、パイパスから旧道が分かれていますが、その東入口に当たる分岐点の少し東寄りに残っています。WEJに掲載した一里塚の写真は旧道の北側のものです。南側の一里塚は国道を拡張した時に半分削られてしまった不完全な形で残っています。
追分の手前と次の一里塚はどこにありますか。 - 米菓の子
2020/05/10 (Sun) 00:26:04
曽根様、教えていただきありがとうございました。ついでと言っては恐縮ですが、追分の次の一里塚と手前の一里塚はどこにあったのですか?
Re:米菓の子様 重ねて私からお答えします - BUROH
2020/05/10 (Sun) 12:09:00
追分一里塚の前後の一里塚について私からお答えします。
江戸側から見て追分の手前は沓掛にありました。今の中軽井沢駅のホームの軽井沢方に立って南側にあったのですが、今は形を全く留めていません。ご参考までそのさらに手前は軽井沢、旧軽井沢銀座の中ほどにあったのですが、これも崩されてしまって跡形もありません。
追分の先は中山道は旧道を下って行くと御代田駅の手前の道路より少し高い所に残っています。分岐した北国往還の方は、現在の国道18号線の北側の森の中に残っています。地名に「一里塚」が残っていますが、しかし追分からの旧道は全く残っていません。